残像
昨日は請求書を、出した。この間からカンバンリースの営業に歩いて新規のお客様を大分増やした。いつもより分厚かった。気分よくポストにいれた。精神的にも、現実の数字も確実に、増え始めた。二日前も歯医者さんと、三年契約で「デザイン」を打ち合わせてきた。どんなに忙しくても、我々営業マンは新規の客をふやさなければいけない。それが悲しい「宿命」なのだ。しいてはその行動が、私の現実の年収になる。自分でボロボロになって、ヨタヨタになり、クタクタで、泣きそうになってねカワイイ我輩の若奥様にビールを、ついでもらったら、歩きすぎて、靴のボロボロなんか気にせず、気分は「ハイ」で一気にビールは、飲まず、ボチボチ飲む。あのヨットで太平洋を横断した「堀江ケンイチさんなんか350グラムのチイサナビールを一時間掛けて飲むと言っていた。独り海をみながら・・・まあなんにもすることがないのだから。・・・・そのテン私はね仕事が上手くいった時なんか、ビールをついで「オイ、のめぇ。」という可憐な妻はあのよしながさより似でも仕方なく飲み、また嫌でも褒めなければいけないのだ。その内我妻を褒めてばかりいると、誰かに腹をさされそう・・・おおコワー。今日はアンマリ可愛すぎて腹を刺されそうな「妻」と、事情 (この文字ひっくらかエスとエロ字になる。情事) があって劇団飛行船を見に行かないといけないのだ。「おじゃるまる」わらったらあかん。子供、しかも幼児の作品文化会館で。 この話と全然関係ない話を・・・・・・・昔ワタシは四日市市民劇団に4年所属していた。もう亡くなったが団長が「森 ケンロウ」さんだった。苦労に苦労を重ねてこの劇団を運営していた。あの頃「昭和40年」プロレタリア文化がメッチャクチャはやっていた。小林多喜二の蟹工船やスミイスエの橋のない川なんか訳のわからない作品が主流をなしてた。大体劇団ということ自体「共産党」のレッテルを貼られ、大企業に勤めた方はなかなか活動できない時代だった。ワタシはそんな「共産党」に偏ったいろがいやで辞めた。今はどうなんだろうか。そしてワタシは名古屋の夜間の「中京法律専門学校」の門をくぐった。 どっかの「パソコンの先生」も20年後には、全然違う仕事をしてたりして・・・・・。だから人生真面目に生きてたら、真面目に定期預金してたら「最後はユックリ生きていける」からオモロイでぇー。「金のないのは、首のないのと、同じだから」
追伸 あのアホ山本をたけしさんが、拾ってくれるらしい。たけしさんに「感謝」しろょ。
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