2006年10月25日 (水)

花に十日の紅なし

にとおかの紅なしというのは、どんな植物の花でも長くは咲かず、絶対枯れるということ。人間にも盛りがありチャンスものがしてはいけない。ということはワチシが考えたことなので、各自かんがえること。この間辞めた宮城県知事や熊本の細川元総理もおなじことを言っている。長いこと同じ職場にいると、腐敗や陳腐になり過ぎるということ。然しアレほど人気があってなんにもしなかった小泉元総理もめずらしい。ギョゥセイ改革はそのころから、つまり橋本君の時代からしていたし、一体小泉はなにをしたんや、オペラばっか見に行って、貴乃花が優勝したら感動した。それなら兄弟喧嘩の時も仲裁にはいったったらどうなん。怒るデエ。それにしても凄い人気の総理だった。それにしても訳のわからん総理やった。阿部総理が一旦離党した人を再度入党させる動きがあるが、一体要分からん。

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2006年10月24日 (火)

ボチボチ休憩か・・・株

ぼちぼち株も休憩しようと、想った。うまくいけばいいけど、失敗の可能性だってあるから・何故かというと、どうも急激な円安。これは世界がどう見ても「日本が弱い」といっているようなもの。一寸不気味だ。こんなことを書くことはいけないのだけど、新聞やテレビでいわないことが、逆に怖い。やっぱり円は普通のやや高めの水準がいい。やはり北の原爆が影響しているかも知れない。今朝もてんてこ舞い。最後はY鉄工でペンキを塗る。もういやになる。毎日毎日のあの歌を思い出す季節になった。タイヤキくん・タイヤキ君も多分いやになって海に飛び込んだのさ、初めておよいた゜海のソコ、やっぱり気持ちが良いもんだ。おなかの餡子も重いけど、海は広いぜ、心も弾む、そういえば最近弾むことがない。こころがウキウキすることもない。今朝十時頃、三重銀行の前の不動産のプレジデント社長と話していたのだが、最近世間が若くなり始めた。回りを見渡しても、みんな若い。賢いとかアホというより、もっと大事なことは「若さ」がワチシ達にはないという現実。ふたりが小さく深く頷いた。隣にいたきれいにみえそうな、品のあるような事務員さんも、仕事をしているようなかんじで、笑って、自然とふきだした よだれをしずかにふいていた。多少の脚色アリ。でも今日のスーツの木地は良かった。  孫にも衣裳だと想った。 多少の冗談アリ

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2006年9月27日 (水)

就き(つき)のある人生だなあ。

なんとはなしについているぼく。づっと長い眼でみながらねヨウク考えて見ると、やっぱり「就いている人生」だと断定できる。だって土地も買ったし、家も建てたし、愛妻とは一緒にご飯たべるし、コドモもいるし、イヌもヨタヨタだけどいるし、ヘソクリは一万円もっているし、タバコはやめたし、焼酎は好きなだけ飲めるし、トラックは買ったし、ネギとサラダ菜はうえてアホほど食べれるし、友達はヘンだけど一杯いるし、仕事はできないくらいあるし、カラオケは歌うし、これはやっぱり「菅原の道真候の守り本尊」のお陰か、分からん。でも道真候は責めれないことがある。それでもパチンコは負ける。賭け事はまず、負ける。不思議だ。なぜこんな話をするかと言うと、昨日Aと会ったとき、俺人生恵まれとらんだ。わしの上司になる人が全然あかんだ。としみじみ言った。まあいまは年金でクットるだけや。「そんな事いうとったらあかん。いまからやないけ。人生は。昔の人がいうでぇ。五十・六十ははなたれ小僧やと」「・・・」「いまからや。人生はあんたにもうたぞろ目の五千円でおれんどこのオッカアはよろこんで、死んでったあ。あんたにいまからそのお礼をかえしたるわあ。心配すんなあ」「・・・・・」「まかせとけえ。わいに」「怖いぐらい銭儲けさしたるさかいに」ワチシは又口から出任せをいってしまった。なんでこんなホラふけるんか、自分でもよう分からん。

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2006年9月24日 (日)

墓参り

おじいちゃんが亡くなってもう、一年半ぐらい経つ。段々記憶が薄らいでゆく。おじいちゃんの形見は一杯ある。かなづち、大きなくぎ抜き、おじいちゃんがつくってくれた、塀、敷石、あまりにもありすぎて、逆につらい。この年になっても、親というのは、人生の宝だ。それが死ななければ、本当の意味がわからないなんて、本当に情けない。もっといっぱい「赤福」を食べさせてやりゃぁ良かった。食の細い人だった。だあれも、知らないことだけど、おじいちゃんと私は一度騙されたことがある。細かく言うと三回ある。一回は忘れもしない「名古屋競輪」の帰り、二人は別々に行ったのに、同じものを買ってきた。それは「蛇」に腕をかませて、血が出ても、その薬を塗ると何でも直るという薬。昔祭りでやっていたがまの油みたいなサギ。でも私たちは義理の親子であっても、キチンと二人はその薬を、同じように買っていたのである。小さなビンで「千円」だった。たぶん今思うと、サクラが三人ほどいて、その人達が最初買って私たちがあとで買ったのである。でも買ったときはだまされているとも全然思わなかったが、内に帰り、お互いがテーブルの上へそのビンを出した時、妻が、「なに、それ、気持ち悪い」といった時、お互いおじいちゃんと顔を見合した、そのとき「そんなもん.効くかさ。こんなもんで、血が止まるわけがないわあ」と妻がいったとき、私達はだまされたかなと、一瞬思った。しばらくたったら、おじいちゃんと私は騙されたとボンヤリ気がついた。それにしても「オンナの感」は凄い。サギとすぐ見抜いた。俺たち二人は名古屋から帰ってくるまで、あるいは妻に言われるまで、分からなかった。そしてその魔法のイカサマびんは二度と見ることはなかった。

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2006年8月22日 (火)

お金を入れたつもりが・・・・・。

どこにでもある間違い。十年前の話。昔は「バブル」だったので、ヤクザっぽい親分と付き合っていた。その息子が結婚するというので、皆で金額を5万円と決めてお祝いを持っていった。内の姫に「ピカピカの札やでぇー。たのむでぇー」といって、私は結婚式を自分がするかのように、ウキウキしていた。「お祝い金」を内ポケットに入れ、千寿会館へ向かい、式場へ着くとスゴイ人だった。結婚式も無事何事もなく始まり、そして何事もなく終わった。ごく普通の結婚式だった。家に帰り一応結婚式の日々の出来事を、あらすじだけ若妻につたえていて、キャッキャッと二人で騒いでいた。市長がいたとか、議員とかね何処何処の社長とか、丁度、噂に尾ひれがつき会話は絶好調に盛り上がっていた時だった。電話がなった。今日の式の新郎の父親からだった。
「どうもどうも、きょうはおめでとうございました。」
「ありがとう。実は」
「はあー。」
「お祝いのお金が、ちごとったんや。」
その声を聞いた時、血の気が、引くとはこういうことをいうのだと、はじめて分かった。
金額が少なかったら、えらいことや、五万円が4枚だと、死ぬのゴロの悪い四万円。4万円。しまんえん。なんでこんなことになったんや。私は若姫ヲにらむ。それでも電話でアタマを下げながら「スンマヘン。スンマヘン」とアタマをさげる。電話では相手にみえないので、アタマをさげても見えないのに。若妻の瞳が大きくなり妙に口がつぼむ。
「まちがっとったんはな、ええんや、お前どこの家計簿があわんやろと、おもってな」
なにをねぼけたこというとんのや。親分がこんなこというといて、家計簿が会うとか、会わんやろという簡単な問題とちがうんじゃ。もっと事は重大なことなんじゃ。
「一枚余分にはっ取ったんじゃ。六万円はいっとった」
「はぁ・・・・」
やれやれ、少々は助かった。少ないことよりおおかったんかいな。
「それなら、赤ちゃんが生まれたら、服でも、なんかこうたってください。」
「いや、それとこれとは別や。まあ明日取りに来てくれ。」そりだけ言って電話を切った。怒っているようすでは、なかった。私も静かに受話器を置いた。
「なにがあったん。」
「なにがあったんて、祝いの金額がちごとったんや」
「・・・・・・・・・」
「少なかったとちごたでまあ良かったわ。」
「そんな、ことは絶対にない。」かわいい若妻は言った。真剣に言った。
「あそこがまちがっとる。」
「そんなこと言うても、・・・・。ほんにゃたら向こうが間違えたんか。」
「何回も何回も数えたし・・・間違うわけないもん。」

あの事件はいまだに分からない。

まあ、普通はその金額は入っていないか、少ないもんや。余分に入っていたとは、ヤッパリ「オレンチ」は金がありあまっとんのやあなあ。

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2006年8月15日 (火)

人生の忘れ物

野末さんが亡くなったので、Aに連絡した。昭和43年頃の「M新聞・三重版」の広告取りの仕事をしていた。Aは私より2歳年上だが、同時入社で仲良かった。彼はともかく「パチンコ」が上手かった。多分今度会う約束をしたので、聞くが今でもパチンコは相当打つ筈だ。私が二十歳で彼が二十二歳の春、私達二人は仕事を、早くかたずけ、「松阪」の場外車券場に出かけた。今の「川越」だ。あの時彼が「5-5」のぞろ目を取ったので、私に5000円くれた。その帰り川越の小さなどぶ川でなまずを取った記憶がある。そのもらった5000円で、私の母に、「マフラー」を、買ってやった。ジャスコではなく「岡田屋」で。おふくろは随分喜んだ記憶がある。Aとは仲良くM新聞社で「新人賞」をホテルのナゴヤキャッスルで、受賞を頂いた。この時の四日市所長が野末さんなのだ。そしてその当時26歳のTがいたが、彼も「加佐登」の国道で大型に引かれ即死だったらしい。酒で泥酔し道に寝ていたらしい。Tさんらしい最後だ。そしてこの会社の社長だったKも亡くなり、津所長だったNも、早くこの世を去った。事務をしてたMの婆さんも死に、その当時の人は段々いなくなり、私達もあと少しでこの世を去るであろう。野末さんの「生前」私はたった一つ恩返しができた。野末さんは大変古くこの仕事にたずさわっていたので「M新聞」の株をもっていた。丁度二年前、野末さんから電話が掛かってきて、ちょっと相談に乗ってくれといわれたので、野末さんの家へ出向き話の内容をきいた。株を今の社長に買うて、もらえないかの、依頼だった。あくる日早速私はその会社へ出向き、株の買い戻しをたのんだ。その社長も気分良く、受諾してくれたので、預かっていた「株」を渡し、預かり書をもらい、その預かり書を野末さんに、渡した。お金はその週末に銀行に振り込まれていた。こういう話なら何処にでもあるのだが、その社長と私はもう一度会わなければ、いけないことに・・・・・・。
初七日のあと、野末さんの奥さんが私に小さな紙切れを持ってきた。「この社長様のお父様もご香典を、頂いたのですが、からっぽでしたのですが・・・・・」私はまた考えずにすぐ返事をしてしまう。「分かりました。私が一度お会いしてきます」「ありがとうございます」すぐ野末さんの娘さんも深くアタマを下げた。  まあ仕方ないやろ。野末さんには、色々世話になったし、多少の恩返しや。でもへんな恩返しやな。

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2006年7月29日 (土)

所詮政治家は お笑いタレントか

ヤッパリどの「政治家」も所詮は暇つぶしのお笑いタレントだと想う。小泉しかり小沢しかりしいていえば「ミッチー御子息 」ぐらいが本当の政治家だとおもう。しかし数が少ないのでなんにもできない。あの民主のかわむらさんさえも、民主党の党首に立候補することすらできない。20人国会議員が集まらなければなんにもできない。おかしな政党だ民主党も。どうしても権力維持を、今の自然のままの流れをつづけたいらしい。そのかわりいつまでたっても、政党はいまのままで、上層部は安心してすすんで行ける。このまま「金持ち」や「資産家」と喧嘩しなくて進む。つまりこのまま「安心」してゆける。やはり責任は、「国民」にある。日本人は結果論で、絶対「変革」「改革」を、のぞまない。小泉ぐらいの改革ならちょうどいいのだ。郵便局の民営化ぐらいで。しなくてもいいところは改革をやり、改革をしなければいけないところは「手付かず」まあ情けないが、仕方のない、ところなのかもしれない。やはり「政治の基本は、所得の低い人達のなかでも、若い人、この人たちになんとしても、希望と夢を政治・経済の力で与えなければいけない。当然所得もあげてやらねばいけない。しかもこの混沌とした世界で負けないような根性ある「力・知恵・英知」もつけてやらなければ、いけない。それから「アパート」に住む人達もなんとかしなければ、いけない。ただこの人達は、「人生を、ナゲヤリに生きているひとが多い。当然知識階級ではないから。」  ただ知識階級は「困った問題」がおきても、知恵のある知人・賢い人・名誉のある人・たとえば弁護士等に相談して、難問題をくぐりぬけるし、上手くすりぬけてゆくことができる。   が「人生をなげやり」に生きているひとは、余り人に相談しない。サラキン地獄がいい例だ。いずりまた「サラキン地獄」は次の機会にのべるとします。御静聴ありがとうございました。

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